モクレン

40代半ば☆もがきながらも自分と向き合う☆目指すは穏やかで楽しい暮らし

夫婦喧嘩が多かった子ども時代

どうしてこんなに不安感が強いのだろうとか、自分が思っていることとか、どうして私はこうなんだろう?生きづらいな…と思うことはわりとたくさんあって、でも、それなりに普通に楽しく生きているつもりもある。

 

もしこれがアダルトチルドレンが原因なら納得して少し楽になれるかな…とちょっと期待もあったり。

 

でも、アダルトチルドレンについて調べると当てはまることもあれば当てはまらないこともあり、まだまだわからないことだらけ。

そもそもアダルトチルドレンというのは「家庭内トラウマによって傷つき、大人になった人たち」のことだそうです。

元々は、アルコール依存症の親を持つ子どもが大人になった時、「対人関係の問題」や生きづらさ」に悩み苦しんでいる人が多くいるとわかってきたことから、その概念が提唱され始めたそうです。

 

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私の両親はアルコール依存症でもなければ毒親でもない。テレビのニュースで聞くような虐待ももちろんなかった。

けれど、嫌だったな…と思っていたことはある。

 

その1つが夫婦喧嘩が多かったこと。

夫婦喧嘩なんて、きっとどの家庭にもあることだとは思うけれど、周りの家庭(例えば友達の家とか)はどうだったんだろう。

親が喧嘩した話とか友達に言ってはいけない気がしていたし、それが辛かったとか話したことがなくて。このあたりもまたブログに書きたいと思っています。

 

「も~!お父さんとお母さんってほんまよく喧嘩するよな~😄」なんて、笑って言えるような喧嘩なら「愛あればこそ」と思えて良かったのかもしれないけど、私が子どもの頃ずっと見てきた喧嘩はそんなかわいいものではなかった。

 

喧嘩が始まると怖かった。

母が一方的にやられる…とかでは決してなく、父が母を殴る、とかもないけど言葉の暴力がひどい...って感じかな。母もけっこう強かった。そして父は物を投げる。殴ったり手を出すことはないけど物を怒りに任せて投げるので、もしそれが当たって大怪我でもしたら...とそんなことも考えてしまっていた。

 

でも、当時私が感じていたのはお互い言葉がきついけど、母は父にきつくいうのは愛情があるからこそ...という感じなのに対して、父は母を憎んでるのか?という感覚。

それがすごく嫌だったし、怖かった。

 

時には出ていけと言われた母が出ていくと言い出したり、腹を立てた父が出ていくと言い出して、泣きながら引き留めようとしたり。

まだまだ幼い頃は喧嘩が始まると泣きながら「やめて~!」と叫んで止めようとしていたけど、高校生くらいになると「また始まったか…」という感じで別の部屋に行ったりしてなるべく関わらないようにしようとしていました。

 

どちらかの味方になるのが嫌だったから。どちらか…というか父の味方になることはないのだけど、母の味方になりたいというわけでもなく、母が父のことを愚痴ってくるからしょうがなくという面もあり。でも喧嘩の原因で言うと両方に原因があると思うし、父がそうなってしまうのもわからなくもない...という気持ちもあったり。

父のことも母のことも好きだったから。

 

虐待はなかった…と書いたけど、大人になって私が思うのは、子どもに夫婦喧嘩を見せるのも虐待じゃないのか?ということ。

「喧嘩するほど仲がいい」と、そんな言葉で片づけられるようなかわいいかわいい喧嘩なら別にいいと思うけど、憎しみあっているのかと思うくらいの激しい喧嘩は子どものいない時にやるべきだと思います。

 

そしてもし激しい喧嘩を子どもの前でしてしまったなら、その後お互い謝るところまでを見せてほしいなと思います。

私の記憶の中ではそんなシーンは一切なく、なんとなくでいつもの日々に戻っているけどまた何かのきっかけで激しい喧嘩!の繰り返しでした。

 

普通に楽し気に話していても「あれ?このパターン...喧嘩になりそうじゃない?」「お父さんそんな風に言われるの嫌がるよね、前もこの流れで怒ったよね?」と、またあの恐怖がくるかもとヒヤヒヤし、そうならないように笑わせることをしないと!とか考えることもあったり。

 

長くなったので今日はこの辺で...。